[ブログ]美しくない政策転換――「受益者」はいつ外国人になったのか
2026-10-08
問題は75,000円ではない
2026年10月1日、在留資格変更許可や在留期間更新許可に係る手数料が大幅に改定された。これまで原則として一律であった手数料は、許可される在留期間によって異なる仕組みとなり、窓口申請の場合、1年は33,000円、3年以上5年未満は64,000円、5年以上は75,000円となった。
しかし、私が今回の改定で最も重要だと考えるのは、その金額ではない。なぜ在留期間によって手数料が違うのか。その説明に「受益」という言葉が使われたことである。
出入国在留管理庁は、在留期間によって手数料が異なる理由について、「外国人の出入国及び在留の公正な管理に関する施策による受益の程度は、在留期間によって異なる」と説明している。詳細は出入国在留管理庁のQ&Aで確認できる。
私は、この「受益」という言葉にこそ、今回の政策転換の本質が表れているのではないかと思う。
かつて「受益者」は日本社会だった
興味深い資料がある。2009年、第5次出入国管理政策懇談会で日系人の受入れについて議論された際、次のような意見が記録されている。
「日系人は、日本の活力の維持向上に貢献しており、我が国全体が受益者である」
そのため、外国人受入れに伴うコストを企業だけに負担させるのではなく、国民全体の問題として議論する必要がある、という趣旨であった。これは政府の最終的な政策決定ではなく懇談会で示された意見であるが、当時の入管政策をめぐる議論の中に存在した「受益」の捉え方として非常に興味深い。第5次出入国管理政策懇談会第17回会合議事概要にその記録が残されている。
つまり、少なくともこの議論では、外国人を受け入れることで利益を得る主体は外国人本人だけではなかった。外国人が働き、日本経済や社会を支えることによって、「我が国全体」が受益するという視点が存在していたのである。
2026年、「受益者」の位置が変わった
それから約17年。2026年の議論では「受益」という言葉の向きが大きく変わっている。
2026年4月24日の衆議院法務委員会において、政府は在留資格変更等の許可について、日本への在留を希望する外国人に「一定の恩恵ないし特典を付与する許可処分」であり、手数料は「外国人に我が国に在留する資格を付与することへの対価としての性質」を有すると説明した。
さらに、外国人の出入国・在留の公正な管理に必要な費用が増大することから、「受益者負担の観点から、在留外国人に相応の負担を求める」必要があると説明している。国会での答弁は第221回国会・衆議院法務委員会第7号で確認することができる。
2009年には「我が国全体が受益者」という議論があった。それが2026年には、「在留外国人」が受益者負担の主体として明確に位置付けられている。
もちろん、両者は異なる時代、異なる制度、異なる文脈の発言であり、単純に政府方針が180度転換したと評価することはできない。しかし、この対比は、外国人の在留をめぐる「受益」を誰の側から見るのかという政策思想の変化を考えるうえで、極めて示唆的である。
そもそも在留は「受益」なのか
ここで根本的な疑問が生じる。
外国人には、日本人の居住の自由と同じ意味で、日本に無条件に在留し続ける権利が保障されているわけではない。入管法に基づき、在留資格と在留期間を付与され、その範囲内で日本に在留する。
確かに5年の在留期間を与えられれば、1年ごとに更新する必要はない。その意味で実際上の利益は存在する。しかし、だからといって「外国人の出入国及び在留の公正な管理に関する施策」による受益が5年分存在すると当然にいえるのだろうか。
むしろ外国人は、その「管理」の対象でもある。活動内容、在留期間、所属機関、各種届出などについて法律上の規律に服する。その管理に必要な費用を、管理される側を「受益者」と位置付けることによって負担させるのであれば、何をもって受益というのかについて、より丁寧な説明が必要ではないだろうか。
「長く在留できるほど受益が大きい」は自明ではない
今回の制度の論理を単純化すると、「在留期間が長い→受益の程度が大きい→手数料も高くなる」という構造になる。
しかし、最初の矢印は決して自明ではない。
5年の在留期間を付与された外国人は、1年の外国人より何をどれだけ多く受益しているのか。更新手続をしなくてよいことなのか。日本で生活できる期間そのものなのか。在留管理という行政サービスなのか。日本社会で生活することから得られる利益まで含むのか。
「受益」が定義されないまま、「受益の程度」だけが測られているようにも見える。
私は、ここに制度設計としての美しさを欠くものを感じる。
受益をいうなら、日本社会の受益はどこへ行ったのか
もう一つ重要なのは、受益の双方向性である。
外国人は日本社会から利益を得る。しかし同時に、日本社会も外国人の在留から利益を得ている。外国人は働き、税を払い、社会保険料を負担し、消費を行い、企業活動を支え、技能や知識を提供する。人口減少が進む地域では、外国人住民が地域社会や産業を維持する重要な構成員になっている場合もある。
これは、外国人が日本に貢献しているから手数料を無料にすべきだ、という議論ではない。
問題は、政策原理として「受益」を持ち込むのであれば、誰が誰から何を受益しているのかを双方向から捉えなければ、概念として均衡を欠くということである。
2009年の「我が国全体が受益者」という言葉は、その意味で改めて重く見える。
「受益者」と呼んだ瞬間、別の問いが生まれる
そして私は、「受益者負担」という考え方には、政府が意図していないかもしれない、もう一つの論点が含まれていると考える。
国家が在留外国人に対して、「あなた方は政策の受益者なのだから、その政策に必要な費用を相応に負担してください」と説明するのであれば、外国人側から別の問いが生まれても不思議ではない。
「では、その政策をどのように設計するかについて、私たちはどのように意思を表明するのか」
もちろん、「受益者である」「費用を負担している」という事実から、外国人に選挙権が当然に導かれるわけではない。参政権の問題は憲法、国籍、地方自治などを含めて別途検討されるべき法的問題である。
しかし、政策思想としては無関係とも言い切れない。
長期間日本で生活し、働き、納税し、社会保険料を負担し、さらに外国人政策について「受益者」として追加的な負担まで求められる。それならば、その負担の使途や、自らを対象とする政策形成について、どのような参加の仕組みがあるのかという問いが生じるからである。
それは直ちに国政選挙権を意味しない。地方自治への参加、審議会、外国人住民会議、パブリックコメントなど、政策参加には様々な形がある。しかし、「受益者負担」という概念を導入することは、結果として権利・受益・負担・参加の関係を問い直す契機になり得る。
政策で使う言葉には、その先がある
ここに、今回の政策転換について私が感じる違和感の核心がある。
「受益」という言葉は、手数料を説明するためだけに存在する言葉ではない。
受益者という概念を採用すれば、負担の根拠が生まれる。しかし負担を求めれば、その負担の決定過程への参加という問いも生まれる。そして社会の受益者・負担者として外国人を位置付けるのであれば、その外国人を単なる「在留管理の対象」としてだけ捉えることは次第に難しくなる。
一つの政策用語は、その政策だけに閉じ込めておけるとは限らないのである。
怖いのは、「転換」が転換として認識されないことである
政策の転換点は、「今日から政策思想を変えます」と宣言されて訪れるとは限らない。
一つ一つを見れば、手数料改定、在留期間別料金、日本語学習、社会統合、在留管理DX、永住制度の見直しなど、それぞれ独立した制度改正に見える。しかし後から振り返れば、それらが一つの大きな政策思想の変化としてつながって見えることがある。
だから政策を見るとき、「何が変わったのか」だけでは足りない。
「これまで存在しなかった、どのような概念が制度を動かす原理として採用されたのか」を見なければならない。
今回注目すべきなのは、75,000円という数字だけではない。「受益者負担」という政策言語である。
美しくない転換
政策の方向性には賛成も反対もあり得る。外国人政策に多額の行政コストが必要となり、その一部について在留外国人に負担を求めるという政策判断自体も、当然議論の対象となり得る。
しかし、大きな政策転換であるほど、その基礎となる概念は明確でなければならない。
在留とは何か。受益とは何か。誰が受益者なのか。何に対する負担なのか。そして、受益し、負担する者は政策形成にどのように関わるのか。
2009年には「我が国全体が受益者」という議論があった。そして2026年、政府は「受益者負担の観点から、在留外国人に相応の負担」を求めるという論理を明確に示した。
「受益者」はいつ、我が国全体から在留外国人へと移ったのだろうか。
その変化について十分な議論をしないまま、曖昧な「受益」という礎石の上に次の外国人政策を積み上げていく。それは制度として、やはり少し美しくない。
本当に警戒すべきなのは手数料の金額そのものではない。政策を支える言葉が変わったことに気づかないまま、その言葉を前提とした次の制度へ進んでしまうことなのである。
