[ブログ]不安はなぜ排除する対象を求めるのか ― 脅威認知・スケープゴート・統制感 ―
2026-09-22
1.排除の背景にある「不安」を見る
前章では、一人の外国人の行為が集団全体の性質へ一般化される過程を、帰属の非対称性と確証バイアスから考えた。しかし、人が外集団に否定的な認識を持つ理由は、認知上の偏りだけでは説明できない。
生活が安定し、将来をある程度予測でき、自分の努力によって状況を改善できると感じているとき、人は社会の変化を比較的落ち着いて受け止めることができる。しかし、物価が上がる、住宅が不足する、仕事が不安定になる、公共サービスへの負担を感じる、治安への不安が高まる、将来の生活が見通せないといった状況では、社会を見る心理的な条件そのものが変化する。
そのとき、「外国人が増えている」という目に見えやすい変化が、さまざまな不安と結び付けられることがある。
もちろん、外国人の増加が住宅、教育、医療、労働市場、行政サービス、地域社会などに実際の影響を与える場合はある。その影響を検証することは政策に必要である。
しかし、「外国人が増えた時期」と「生活上の不安が強まった時期」が重なっていることと、外国人がその不安の原因であることは同じではない。
均衡共生モデルは、外国人への不安を単に「偏見」として切り捨てない。同時に、不安が存在することだけを理由に、その原因を外国人へ帰属させることもしない。不安の内容と、その原因を分けて検証するところから始める。
2.人は何を「脅威」と感じるのか
脅威とは、犯罪や暴力のような身体的危険だけではない。
仕事を失うかもしれない。賃金が下がるかもしれない。住宅が借りにくくなるかもしれない。病院や学校が混雑するかもしれない。税や社会保障の負担が増えるかもしれない。地域の生活習慣が変わるかもしれない。自分が慣れ親しんだ文化や言語が弱くなるかもしれない。
こうした経済的、制度的、文化的な変化も、人にとっては脅威として認識され得る。
ここで重要なのは、「脅威を感じていること」と「客観的にその脅威が存在すること」を区別することである。
認知された脅威が、事実と一致している場合もある。部分的に正しい場合もある。誤解や情報不足によって実際以上に大きく感じられている場合もある。
だからこそ、脅威を感じる人を批判するだけでも、感じられた脅威をそのまま事実として扱うだけでも不十分である。何が実際に起きているのかを確認し、認識と現実の距離を測る必要がある。
3.不安が強いほど、複雑な説明は受け入れにくくなる
社会問題の多くは、一つの原因だけでは説明できない。
住宅価格の上昇には、人口移動、住宅供給、土地価格、建設費、金利、投資需要、都市集中など複数の要因が関係する。賃金には、生産性、産業構造、企業行動、労働需給、物価、制度などが影響する。医療や教育の混雑も、人口構成、地域配置、人員不足、財政、制度設計などさまざまな条件によって生じる。
しかし、不安が強いときほど、人はこうした複雑な因果関係を処理することが難しくなる。
「多くの要因が複雑に関係している」という説明より、「原因はこれだ」という単純な説明の方が理解しやすい。そして、社会の中で目に見えやすく、自分たちとは異なると認識される集団は、その原因として選ばれやすい。
複雑な問題が、一つの分かりやすい集団へ集約される。そのとき、政策課題は「問題をどう解決するか」から「誰を排除するか」へ変化する危険がある。
4.スケープゴートは「架空の問題」だけから生まれるのではない
スケープゴートという言葉は、しばしば「何の問題もない集団を不当に悪者にすること」という意味で理解される。しかし、現実の社会では、より複雑な形で生じる。
ある集団に関係する実際の問題が存在していても、その問題の規模や原因が過度に一般化され、その集団が社会全体の不満の受け皿になることがある。
たとえば、一部の外国人による制度違反が実際に存在するとする。それに対応することは必要である。しかし、その事実から住宅不足、低賃金、社会保障への不安、治安への不満、地域社会の変化まで、異なる問題の原因を一括して「外国人」に求め始めれば、原因分析は失われていく。
逆に、「スケープゴートだから問題はすべて存在しない」と考えることも適切ではない。現実の問題を否定すれば、その問題を経験している人々の不信をさらに強める。
均衡共生モデルが求めるのは、問題の存在を認めることと、その責任を不当に拡張しないことの両立である。
5.「外国人」というカテゴリーは不安の受け皿になりやすい
第54章で考えたように、「外国人」という言葉は極めて大きなカテゴリーである。
観光客、留学生、技能労働者、専門職、経営者、永住者、家族滞在者、難民申請者など、法的地位も生活実態も異なる人々が、一つの言葉にまとめられる。
このカテゴリーの大きさは、不安を集約するうえで都合がよい。「外国人が増えた」という一つの表現の中に、観光地の混雑、住宅、労働、社会保障、治安、文化、在留管理など、本来別々に検証すべき問題を入れることができるからである。
しかし、カテゴリーが大きくなるほど政策は不正確になる。
観光客による混雑なら観光政策として考える。特定産業の労働条件なら労働政策として考える。不法就労なら雇用主を含めた法執行の問題として考える。地域の情報不足なら自治体や生活支援の問題として考える。
「外国人問題」という一つの箱を開き、その中に入っている異なる問題を取り出して分ける。それが、感情を政策へ変換するときに必要な作業である。
6.人は「自分で状況を変えられない」と感じると不安になる
不安を理解するうえで重要なのが「統制感」である。
人は、自分の行動によってある程度結果を変えられると感じるとき、困難な状況にも対応しやすい。逆に、何をしても状況が変わらない、誰が決めているのか分からない、将来どうなるのか分からないと感じると、不安は強くなる。
入管・移民政策では、この統制感の問題が特に重要である。
何人を受け入れるのか。どの分野で受け入れるのか。ルール違反にはどう対応するのか。地域への影響を誰が把握するのか。社会保障や教育、住宅への影響をどう調整するのか。政策変更の理由は何なのか。
こうしたことが社会に十分説明されなければ、「知らないところで社会が変えられている」という感覚が生まれる可能性がある。
その不安を単なる排外意識として扱えば、制度への不信はさらに強くなる。外国人への信頼を形成するためには、まず政策そのものへの信頼を形成しなければならない。
7.予測可能性の欠如は「脅威」を大きくする
均衡共生モデルが一貫して予測可能性を重視してきた理由は、ここにもある。
人は変化そのものだけを恐れるわけではない。どこまで変化するのか分からないこと、どのようなルールで管理されているのか分からないこと、自分の生活にどのような影響が及ぶのか分からないことに強い不安を感じる。
外国人受入れについても、制度の目的、規模、条件、責任主体、違反時の対応、地域への支援などが説明されれば、人々は少なくとも何が起こり得るのかを予測できる。
逆に、政策が不透明で、問題が起きた後に場当たり的な対応が繰り返されれば、実際の問題以上に「制御されていない」という印象が強くなる。
理解できる制度は予測可能性を生む。予測可能な制度は、自分たちの社会が一定のルールによって運営されているという統制感を生む。その統制感が、過剰な脅威認知を抑える。
説明可能性は外国人の権利を守るためだけに必要なのではない。受入社会の不安を軽減するためにも必要なのである。
8.「厳格さ」が安心を生むとは限らない
不安が強まると、「もっと厳しくすれば安心できる」という要求が生じやすい。
もちろん、違法行為や制度濫用に対して適切な執行を行うことは必要である。ルールが存在しても執行されなければ、制度への信頼は失われる。
しかし、厳格さそのものが信頼を生むわけではない。
基準が不明確なまま審査だけが厳しくなる。行政裁量が拡大しても理由が説明されない。適法に生活している人まで将来を予測できなくなる。こうした状態では、外国人だけでなく、雇用する企業、家族、地域社会も不安定になる。
必要なのは「厳しい制度」か「優しい制度」かという二者択一ではない。違反には実効的に対応し、適法な行動には安定した結果を与える制度である。
予測可能な厳格さと、予測不能な厳格さは異なる。前者は秩序を支えることができるが、後者は新たな不信を生む可能性がある。
9.不安を無視すると排除は強くなる
外国人への否定的な感情を持つ人に対して、「それは偏見だ」「差別的だ」とだけ答えても、その背景にある生活上の不安が消えるわけではない。
住宅が見つからない。賃金が上がらない。医療や教育に不安がある。地域が急速に変化している。政府が何をしているのか分からない。そうした感覚が存在するなら、まずそれぞれを政策課題として検証する必要がある。
その結果、外国人受入れとの因果関係が確認される部分については対応する。因果関係が弱い部分については、別の原因を示し、その問題自体を解決する。
重要なのは、「外国人のせいではない」と説明して終わることではない。
人々が感じている問題が実在するなら、本当の原因に対して政策を動かす必要がある。不安の原因が放置されたままでは、別のスケープゴートが現れるだけだからである。
排除を減らす最も有効な方法の一つは、排除の対象を批判することではなく、排除を必要とするほど蓄積した不安そのものを減らすことである。
10.外国人側の不安も同じ構造を持つ
脅威認知と統制感の問題は、受入社会だけに存在するわけではない。
外国人もまた、在留資格を失うかもしれない、更新されないかもしれない、仕事を失えば日本にいられなくなるかもしれない、制度変更によって将来設計が崩れるかもしれない、言葉が十分に通じないため不利益を受けるかもしれないという不安を持つことがある。
制度が不透明であれば、外国人側にも「自分では将来を制御できない」という感覚が生まれる。
その結果、行政、雇用主、日本社会そのものへの不信が形成される可能性がある。
ここにも均衡が必要である。日本社会の不安だけを正当なものとし、外国人の不安を無視しても共生は成立しない。逆に、外国人の不安だけを語り、受入社会の不安を偏見として処理しても信頼は形成されない。
双方が何を恐れているのかを可視化し、そのうち制度によって軽減できるものを減らす。それが相互信頼を設計するということである。
11.不安を「敵」ではなく「課題」に変える
不安には対象を求める性質がある。「誰のせいなのか」が分かれば、複雑な社会が一時的に理解できたように感じられるからである。
しかし、そこで人を敵にすると、原因分析が止まる。
住宅不足なら住宅供給と需要を分析する。低賃金なら産業構造と労働市場を分析する。制度濫用なら濫用の仕組みと関係者を特定する。地域摩擦なら、どのルールについて、誰との間で、なぜ摩擦が起きているのかを確認する。
「外国人」という人のカテゴリーから、「住宅」「雇用」「教育」「社会保障」「治安」「在留管理」といった課題のカテゴリーへ問題を移すのである。
課題には政策が使える。対象となる集団を非難するだけでは、問題の原因は残る。
均衡共生モデルが目指すのは、不安を否定する社会ではない。不安を具体的な課題へ翻訳し、制度によって処理できる社会である。
12.統制感を回復する制度が信頼をつくる
社会が大きく変化するとき、人々に「不安を持つな」と求めることはできない。
必要なのは、変化がどのような原則によって管理され、問題が起きたとき誰が責任を持ち、どのように修正されるのかを示すことである。
外国人を受け入れるなら、その目的を説明する。規模を決めるなら根拠を示す。社会的負担が生じるなら対応策を準備する。違反があれば適切に執行する。適法に生活する外国人には安定した制度運用を提供する。そして、政策の結果を検証し、問題があれば修正する。
その循環が見えるとき、人々は「社会は制御不能ではない」と理解できる。
理解は予測可能性を生む。予測可能性は統制感を回復させる。統制感は過剰な脅威認知を弱め、人や制度に依拠できる余地を生む。そして、その経験の蓄積が信頼へつながる。
均衡共生モデルにおいて、排外意識への対応は、人々を道徳的に分類することから始まるのではない。現実の問題を正確に認識し、不安の原因を分解し、必要な統制と支援を実装し、社会が問題を処理できるという経験を積み重ねることから始まる。
しかし、人間社会は過去にも、不安や危機の原因を特定の集団に求め、その排除によって秩序を回復しようとしてきた。その結果、個人への不満が集団への一般化へ変わり、社会的カテゴリーが道徳的な序列となり、制度そのものが排除を実行する段階へ進んだ例もある。
次章では、特定の国や時代を単純に現在へ重ねるのではなく、歴史の中で排除がどのような認知の構造から形成されたのかを考える。歴史から学ぶべきなのは「誰が悪かったか」という結論だけではない。普通の社会が、どのような認知と制度の連鎖によって排除へ向かい得るのかという構造である。
※本稿は、均衡共生モデルにおける目次を構成する章に位置付けています。
