[ブログ]外国籍者を「社会の構成員」として考える ― 排外化と権利保障を均衡共生モデルから考える
2026-08-11
外国籍者への厳格化をどう見るか
弁護士ドットコムニュースは2026年8月7日、「社会が分断されるほうが怖い」と題し、約四半世紀にわたり外国籍者の権利保障に取り組んできた鈴木雅子弁護士へのインタビューを掲載した。記事では、近年の在留資格や帰化をめぐる審査の厳格化、永住許可取消事由の拡大、在留手続に関する手数料の引上げなどを背景として、外国籍者を取り巻く政策が急速に変化していることへの懸念が語られている。詳しくは弁護士ドットコムの記事を参照されたい。
マクリーン判決と行政裁量
記事で特に興味深いのは、鈴木弁護士が1978年の最高裁判決、いわゆるマクリーン判決を取り上げている点である。同判決は外国人の人権保障について重要な判断を示す一方、外国人の入国・在留について国に広い裁量を認めた判例として、その後の入管行政に大きな影響を与えてきた。鈴木弁護士は、この広い行政裁量が外国籍者の権利保障を考える上で大きな壁として機能してきたとの認識を示している。
均衡共生モデルも、国家が外国人の入国や在留を決定する権限そのものを否定するものではない。誰を、どのような条件で受け入れるのかを決定することは、国家の重要な役割である。しかし、裁量が広いことと、その判断について説明する必要がないことは同義ではない。むしろ裁量が大きい領域だからこそ、判断の一貫性、予測可能性、説明可能性をどのように確保するかが、制度への信頼を左右する。
厳格化そのものが問題なのではない
ここで注意すべきなのは、外国人政策の「厳格化」それ自体を直ちに否定的に評価することではない。制度の悪用が確認され、従来の要件では政策目的を達成できなくなったのであれば、許可要件や審査方法を見直すことには合理性がある。社会の安全や制度の持続可能性を確保することも、国家が負う責務だからである。
問題は、その変更がどのような事実に基づき、なぜ必要とされ、従来の制度との連続性をどのように確保し、既に日本で生活を築いてきた人々にどのような影響を与えるのかが十分に説明されているかである。制度変更が短期間に重なり、その理由や将来像が見えなければ、外国籍者だけでなく、外国人を雇用する企業や家族、金融機関、地域社会にとっても将来を予測することが難しくなる。
均衡共生モデルが重視する「時間軸の一貫性」とは、この問題を捉えるための視点である。制度は変更できる。しかし、過去に制度を信頼して生活や事業を形成した人々への配慮、現在の運用の一貫性、将来の予測可能性を同時に考えなければならない。
外国籍者は社会の「外側」にいるのか
記事のもう一つの重要な論点は、外国籍者を日本社会の構成員として捉えるかという問題である。鈴木弁護士は、日本で生活し、税金や社会保険料を負担している外国籍者についても、「外国人に関することは外国人が負担すべきだ」という発想が存在することに疑問を呈している。
この問題は、均衡共生モデルが新たに重視している「社会が築いてきた信頼」という視点とも深く関係する。雇用保険、健康保険、年金、労災保険をはじめとする日本の制度は、戦後長い時間をかけ、労働者、企業、国家が負担と給付を分かち合いながら形成してきた社会的基盤である。外国人労働者も一定の要件の下でこれらの制度に加入し、保険料や税を負担している。外国籍者を単なる「制度の利用者」として見るだけでは、この関係の半分しか見ていない。
外国籍者は支援される側であると同時に、働き、納税し、保険料を負担し、企業や地域を支える側でもある。したがって、権利だけを論じることも、負担や責務だけを論じることも十分ではない。負担と給付、権利と義務を対称的に説明することが、社会の構成員としての位置付けを明確にする。
排外か無条件の受入れか、という二択ではない
外国人政策をめぐる議論は、ときに「外国人に厳しくするのか、優しくするのか」という単純な対立に陥る。しかし、均衡共生モデルはこの二択を採らない。外国籍者だから問題行為を容認する必要はなく、法令や社会のルールを守ることは当然に求められる。他方、外国籍であるという理由だけで、制度的な保護や説明可能性を弱めてよいわけでもない。
必要なのは、国家の利益と個人の尊厳、安全と自由、権利と義務、受入れと統合という対立し得る価値を、どちらか一方へ寄せるのではなく制度として均衡させることである。違反には適切に対応し、制度の悪用は防止する。その一方で、適法に生活し、社会的責務を果たしている人には、安定性と予測可能性を提供する。この区別こそが、制度への信頼を形成する。
「社会の分断」を経験の視点から考える
鈴木弁護士が記事で危惧する「社会の分断」は、均衡共生モデルが最近重視している「経験がつくる信頼」という視点からも考えることができる。人は外国人について、ニュースやSNS、政治的言説だけから認識を形成するわけではない。職場で一緒に働いた経験、近隣で生活した経験、行政や学校で接した経験など、具体的な対人経験によっても認識を形成する。
外国人による犯罪や制度の悪用が報じられれば、それを問題として検証する必要がある。しかし、一つの事件から外国人全体を判断することはできない。同様に、外国人との良好な交流事例だけを示して、現実に存在する摩擦を否定することも適切ではない。成功体験と失敗体験の双方から、何がうまく機能し、何が問題を生んだのかを検証する必要がある。
均衡共生モデルが目指すのは、外国人に対して好意的になることではない。国籍という属性ではなく、具体的な行動と結果、制度が果たした役割を基礎として判断することである。その積み重ねが、排外にも理想論にも偏らない社会認識を形成する。
良質な制度経験と対人経験を増やす
制度には、人を管理するだけでなく、人々がどのような経験をするかを左右する側面がある。行政手続で十分な説明を受けた、会社が社会保険制度を正しく案内した、地域で問題が起きたときに行政が迅速に対応した。このような小さな制度経験は、制度への信頼を形成する。同時に、外国人の同僚が約束を守った、近隣住民と協力して地域活動を行った、困ったときに互いに助けたという小さな対人経験も、人への信頼を形成する。
反対に、制度が問題を放置し、誰が責任を負うのか分からない状態が続けば、その不満は外国人、日本人、行政、企業といった相手への不信へ転化する。社会の分断を防ぐには、理念として「共生」を掲げるだけでは足りない。良質な制度経験と良質な対人経験が繰り返される環境を設計する必要がある。
排除ではなく、信頼できる境界をつくる
国境が存在する以上、入国や在留には境界がある。その境界をなくすことが共生ではない。重要なのは、その境界が合理的で、説明可能で、一貫して適用され、社会の構成員となった人が将来を予測できることである。
今回の記事が提起する外国籍者の権利保障と社会の分断という問題は、単に「外国人に厳しい政策は正しいか」という問いではない。私たちは誰を社会の構成員として認識し、その人にどのような責務を求め、その代わりにどのような制度的安定を保障するのかという、社会設計そのものの問題である。
均衡共生モデルが目指すのは、無条件の受入れでも排除でもない。国家が必要な境界を維持しながら、その境界の内側で生活し社会を支える人々には、国籍にかかわらず理解可能で予測可能な制度を提供することである。権利と責務を対称にし、制度と人との小さな信頼経験を積み重ねる。その先にこそ、分断を抑えながら秩序と共生を両立させる社会があるのではないだろうか。
